白い

嘘と事実が7:3です

成人先輩と終活星人

今日バイト先の先輩の佐藤という男から「俺来週の月曜で20歳なんだよね」と伝えられた。皿洗いの最中で耳から入る情報に上の空だった僕は、「あぁ」とか「へぇ」の中間みたいな相槌を返した。すると佐藤は「なんだよー祝ってよー」みたいな事をほざく。特に無視する話題でもないので「おめでとうございます」と言うと「ありがと!」とはにかんだ笑みが返ってきた。

 

そんなやり取り以降、僕と佐藤の間で20歳という節目に対する考え方の討論が始まった。

佐藤曰く「20歳から人生が始まる。結婚とかするんだろうし、やれることだってどんどん増える。これからが楽しい」ようだ。

対して僕は「20歳からは老後。終活で忙しい。身体も弱るし出来ることも少なくなる一方。」という持論を展開させた。

 佐藤は僕のそんな考え方を「歪んでいる」と称し指さして笑った。僕の導火線に『人に指を指すな』という本題とは全く関わりない火がついた事で討論は論争に変化した。

 佐藤が言うところによると「お前は結婚できなそう。気遣いとか出来んし」らしいが、ちょっと待ってくれ。誰もが誰も結婚したいと思っておりやしませんか?

 

この世に生きる全員が同じゴールを目指して生きている、なんて考えるのはサイコパスの発想だ。少数派も居ることを念頭に置いてほしい。少なくとも両親の関係があまりよろしくない僕に結婚願望は無い。『結婚は人生の墓場』なんていう言葉が指すとおり、結婚したら自分を縛るものが増えるんだろう。デメリットしかない気がする。

 

そう伝えると佐藤は「メリットデメリットで結婚について考えるのがナンセンス。自分が好きな人と一生一緒にいれるなんて幸せ」と何処ぞのラッパーみたいな事を口にした。こいつは頭がお花畑だ。素直にそう思った。

 

結婚に関しての話し合いは10分ほど続いたが、最終的には「お前の顔が悪いから結婚願望もないんだよ!!」という佐藤の一言に収束した。ただの悪口だろそれ。納得が言ったわけでは無いが、実際ブスの僕に返せるものは無い。佐藤は顔がいい。バッタの体液を擦り付けたい。

 

続いては『20歳を過ぎたら出来ることが少なくなる』という話し合いに花が咲いた。佐藤は「法の観点から言ってもさ、やっていい事が増えるんだから楽しいじゃん。国のお墨付きだよ?」と19歳フリーターの分際で法学生の様に宣う。

確かにこの日本という国家は20歳である事に対して重い責任を負わせている。喫煙、飲酒、エトセトラ。そんな少々のメリットと重たい枷をつけられる。20歳からは大人というレッテルを貼られて日本人という種族は社会に送り出されるわけだ。

 

ここで聞いてほしい。確かに、確かに20歳から出来ることは増える。しかしこんな話を聞いたことは無いだろうか。

 『体感時間的に20歳までが人生の半分』

これだ。例え出来ることが増えたとしても、残った時間はあと半分。グラフで言えば落ちの曲線を描くだろう。そんな状況で「やったーやりたい事がやれるわーい!」なんて騒げるのかね。僕には無理。20歳超えたら既に老後だ。

 

それを伝えるや否や、佐藤は馬鹿正直に深刻な顔を作った。追い打ちをかけるように「あと3日で佐藤さんの人生半分ですよ」と囁いてやると、佐藤は難しい顔をして「そうか…老後か…」と辛気臭いセリフを口にした。けしかけといて難だけど、定年間近のおっさんみたいで非常にウケた。 

あと1歩で佐藤の心を動かして何をするにも慎重派のつまらん人間に出来る。そんな邪な目的を持って、次に何を言ってやろうか、なんて考えあぐねていると店の壁掛けタイマーがけたたましく鳴り響いた。14時だ。佐藤はぱっと顔を上げると「もう上がりじゃんあはは」と先程までの表情が嘘のように笑った。

 

「それじゃ誕プレ待ってるね~!」そう言い残すと、佐藤は足取り軽く更衣室へと消えていった。誰がやるか。お前の彼女、別の男とディズニー行った写真インスタに上げてたぞ!死ね!

チラリと横合いに目をやれば、途中から放棄した洗い物が山のように積み上がっていた。

 

今はこの文章を、真っ暗な部屋のソファに寝っ転がって書いている。無機質な機械の光は視力の低下を加速させそうだ。後ろの窓を見やると、カーテンの隙間から春らしい朝日が差し込んでいた。家の前を通る国道からは、既に様々な活動の音が聞こえ始める。窓を開けば雨上がりのアスファルトの香りが滑り込んできた。

あと2年半で僕も人生が半分終わる。残った時間であと何回こんな朝を迎えるのか。気が付けばそんなことを考え始めていた。寝不足だと感傷的になる。なんだかとてもキモいのでもう眠ろう。

だいぶ遅れてやってきた眠気に身を任せたい気分なので今日はこの辺で。

それでは。